5年ぶりの公演で音響と作曲のお仕事。仕事とは?エゴとの闘い?それとも…

列柱の詩
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どうも、マギです。

久しぶりにホームページの記事を書きました。
あまりにも久々で、みんなホームページの存在を忘れているかと思います。

先月末、音響と作曲のお仕事を久々にいただいて、5日にわたる出張をしてまいりました。

こちらの公演です。
プゼ立ち上げ公演「列柱の詩」

列柱の詩 フライヤー画像

列柱の詩 フライヤー画像

まさかこのタイミングで作曲・音響のお仕事を振ってもらうことになるとは。
正直驚いています。

というのも、今思えば生活を破綻させつつ音響と作曲をしていた20代のころに、異常な失敗をしていたのです。
そして、その失敗のことを今更になって学びました。

そんな私は今年の9月にもう32歳になっています。
フリーランス歴は、やったかやってないか微妙な時期も含めれば、もう7年を超えています。

今更になって、
仕事の「本質」とも呼ぶべきもの
のことをを知りました。

仕事とは、自分と相手との相互関係で成り立つ

プゼ立ち上げ公演

プゼ立ち上げ公演

非常に簡潔な説明だったので、私のヴィオラ・ダ・ガンバの師匠の言葉を借りることにします。
「仕事とは仕える事」。

相手がいて、自分がいて成り立ちます。

自分が自分が、という子どものような欲求だけでは成り立ちません。
しかし、相手が相手が、と迎合し過ぎては、十分な仕事はできず、しかも自分の首を絞めるでしょう。

私の過去の失敗をいくつかご紹介しましょう。

  • 自分の調整ミスで時間が足りなくなり、十分に音源を調整できなかったまま出して「自分は十分にやった」と言い張る
  • 他人の批判を受け入れない。受け入れないこと自体は時に必要だが、それにしても一回受け止めた後に無視するのではなく、受け止めすらしない。批判もある、という現実自体を受け止めない感じ。そのため、「現実」を知らない。
  • 批判されるとその相手を完全に拒絶する。
  • 自分自身の問題に向き合わず、環境のせいにしたり、社会のせいにしたりする。

今でこそどうして?って思うような内容ですが。
なんででしょうね。

自分の至らなさ、非を認めれば済むことばかり。
あとは対策すれば全部解決すること。

しばらく前までは、そんなことさえ理解しておりませんでした。

相手へのリスペクトならぬ「ディスペクト」的な状態に陥っていたとでも言えばいいでしょうか笑
当然、相手を拒絶しているので、相手のためになる仕事もできないし、作品も仕上がらない。

ある程度必要な「お客目線」も持っている「つもり」になっているだけ。
自分に反する人は全部存在しないものとみなしているのと同じ。

親も自分の非を認められない人だった

思えば、私の親にもそういうところがあったと思います。

でも、気づけないんですよね。
親も苦労したと思いますし、私が同じ問題を抱えてさらに悶絶したことでしょう。

非を認めることってのは、自分が認めたくないことであればあるほど勇気があることなんです。
「非があることが恥ずかしい」って思うひともいますし。

恥ずかしがってても問題はそこに存在します。
自分がどうにもできない問題だったり、相手が明らかにおかしい問題なら無視してもよいですが。
自分で向かい合わなければいけない問題も存在します。

非を認めることで、次にどうすればよいかが見えてきます。

「もっと良くしよう」と「もっと良くしてやろう・もっと良くすれば自分が評価される」は別物

今回のように公演にお力添えをするということは、自分の世界と相手の世界をすり合わせるということ。

求められてでもいない限り、自分の世界をバカスカ出すのとはまた違います。
バカスカ出すのが必要なシチュエーションも中には存在しますが、そうでないシチュエーションの方が多い気がします。
バカスカ出すにしても、出し方を間違えると大怪我します。

音を扱う職に就いているものとして、音というのは人間が行なっているあらゆる表現活動の中でももっともエネルギー量が強く、時には危険になると感じています。

後日きちんと調べますが、ナチスドイツの時代、ドイツ国内では国民を扇動するのにちょうど良い形でヒトラーの演説を流せるようにしたと聞きます。
これまた有名な話で、ホラー映画にコメディ音楽などの別の音楽を流すと、全く怖くなくなってしまうという話もあります。ホラー映画は、音楽だけでも怖い。

それほどに、音というものは全てをぶち壊しにする力も、全てを最高のものに仕上げる力も、両方とも持っています。

音は、繊細な作業が特に必要になる箇所です。
その上、私が音響をやる場合、ライヴで全ての音を操作します。シーンは決まっていますが、生演奏のようなものです。

それを、うっかり「自分を出す」という欲のバランスが崩れると…悲惨です。

この公演でやらかしたか、やらかしていないかは見に来た人のみぞが知りえます。
私の中にも答えがありますが、それはしまっておきます。

とにかくバランスが大事。
月並みにせず、エゴだらけにせず、全員に予測以上の幸せをもたらすかどうか。
指標も存在しない世界です。毎回変わります。

作品のこと。主宰、なるちゃんの頭の中をどう汲み取る?

自己反省UZEEと思った方。

ここから作品の話になりますのでご安心ください(´・ω・`)

今回の公演の主宰、斉藤成美さん(なるちゃん)。
なるちゃんとは長い付き合いで、私が墨田区に住んでいたころから時々企画を一緒にやっていました。

時には私がダンサーとして舞台にあがり、時には音響として裏で舞台に関わり、時にはプレ公開を見せてもらう1人の客として行ったり。

私が大阪に移り住んだ後も、なるちゃんはワークショップをやったり、伝統芸能の継承プロジェクトなどで時々関西方面に来ていました。
ときどき、最近の関心ごとについて、近況報告を交換することもありました。

そのプロセスの中にいたのと、テーマと、お互いの生活スタイルと。
そこがうまい具合にかみ合いました。

まず、コチコチの「ダンス公演」にはしない方向。

作品を表現する行為は、日常の延長線上にあり、また非日常性も内包していること。
舞台のある墨田区という場所との連続性があること。

所作の組み合わさり方が以上を表現すること。

ここについては感じることがあったので、まっすぐに進めました。

細かい場所は現場に入ってから1、2日で仕上げ。

正直、先に挙げたようなことを感じていたこともあって、今回できることは本当に少ないと感じていました。
あとはその純度を高めるために、必要ないとふんだ作業を徹底的に削りました。

どう思われたかは人それぞれ。
このやり方が良いと言ってくれた人も、削りすぎと感じた人もどちらも等しくいらっしゃいました。

ともあれ、一度引っ張り出されたことで、私もこのまま再び眠りにつく気は無くなりました。
次は何をしよう?何をしたら、みんなの表現活動を助けられるだろう?

そして、まだ表現活動に触れていないけど、やりたい衝動のある人をどうやったら触れさせられるだろう?

いろいろ考えています。

なるちゃん、
プゼ公演メンバーのみなさん、
会場の北条工務店の棟梁をはじめみなさん、
裏方を一緒にやってくれたみなさん、

ありがとうございました。
これからもたるまず、修行に励みます。

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