悩んで行動できなくなる習慣、無価値感を無くしたたった一つの方法

明日死ぬとしたら?

どうも、マギです。
ご無沙汰しています。

ブログを更新するぞ!と意気込んだものの、

マギ

「でも、何で書けば評価されるんだろう」

マギ
「そもそもうちのやってることってニッチすぎるし」
マギ
「他の人は良いよな、いい話いっぱい書けて」

と、あらゆる悩みでブログを含めて行動できなくなっていました。
そして、自分に対する無価値感が強く、

「何をやっても無駄!」
と行動を妨げていました。

しかし、今日を境に、そんな考え、わりとどうでも良くなりました。
(ドドン!)

悩んで行動できなくなる、無価値感がある状態とは?

詳しいことはそのうち記事にしますが、私自身親からも先生からも、果ては昔の職場でも比較されながら育ってきました。

なので、せっかくアイデアが湧いてきても
「評価されなかったらどうする?」
「ユーザーが求めてるものじゃなきゃダメだろ!」
と、行動していないのに自分で否定しちゃうんですよね。
何が求められてるのかもわからないのに。

とか、周りと比較して

「収益化できないことをやろうとしてるんじゃないか」
「ユーザーがつかなかったらどうする?」
と、試しても居ないのに不安になる。
トライアンドエラーすらしていないのに。

悩みすぎて、行動できていない状態です。

そして、その根っこにあるのは、自分の行動や知識、経験に価値を感じていないことがあります。
実際は試してみないと何もわからないけれど、自分には価値がないと思っているからやろうとも思えない。

行動自体に価値がないと思ってしまったり、批判を受けるだろうとか思って怖くなったり。
うまくまとまらないですが、そういう状態だったかなと。

※ちなみにこれ、やってみては怒られたりして自信をなくしていくパターンの「発達障害あるある」かもしれませんが、
発達障害でなくてもあるあるだと、私は思っています。
そういう人、結構周りにいたので。

悩んで行動できなくなる癖、無価値感がどうでもよくなり解消されたきっかけ

結論だけ聞きたい人に

結論を先にいうと、

「明日死ぬかもしれない状況に置かれたらどうでも良くなる」

ということです。

よくコンサルやオンライン教材の質問にあるようなものですが
(「明日死ぬとしたら今日、どう生きたい?」みたいな)
そうじゃなくて。

実際死ぬかもしれない状況に置かれると、
「死んで何もできなくなるよりは何もかも些細なことやん!」
と思えて、淡々と物事を見られる気がしたんですよね。

それに「今死んだら困るやん!」と自分の状況に
ツッコミを入れたことで、もっと生きようと思えました。

今日の私が死ぬかもしれなかった体験

さて詳しく説明しますと。

私、先日交通事故にあいました。
自転車同士の非接触の事故で、警察には単独事故と言われた事故です。
(これも学びがあったできごとなのでそのうちブログにします)

その時、頭を打っていたんですね。
ヘルメットはしてたけど。

そのせいなのか、どうなのかわかりませんが、
昼食を息子と妻と食べ、片付けをしていた時。

妻「あれ、薬は?」

マギ「(薬を持ちながら)今かrーーー」

妻「え、どうしたん!?」

意識はあるんです。
でも身体が固まって言葉が発せない。

手元にあった、息子の抗てんかん薬をぎゅっと握りしめてしまって離せない。
そして、目の前にいる妻と目線が合わない。

不安になりパニックになる妻。
そして立てなくなり、左半身が硬直し、左の顔がひきつってピクピクと震えだす。

怖いです。
意識はあるのにこうなってることが。
なんとか声を出そうとするけど、筋肉も動かず出ない。

しばらくすると震えは治るも、左半身と顔の半分が麻痺したような状態。

震えた後の症状

震えた後の麻痺の様子を書き留めたもの。よほど余裕がなかったらしい

動かせる右半身の力を振りしぼって調べてみたら、「脳溢血」「脳梗塞」の可能性があるとか。
いや、もしかしたら以前、うちは良く原因不明で倒れていたし、息子も難治性てんかんであることを考えると「てんかん」の一種かもしれない。

てんかんの疑いに関しては、1ヶ月ほど前に私が寝ている間、発作のようなものが起こっていたらしいです(妻情報)。

とにかくこれを放置するのはやばいので救急車に。

俺…死ぬのか!?

俺…死ぬのか!?

運ばれる最中、意識がどんどん混濁していくんです。

「ヤバい、俺死ぬかも…」

「今日死ぬとしたら、今から何がしたいかなぁ…」

「………」

「……」

 

「待てぃ!死んだら困るんやワレ!」

死ねません

死んだら困るんじゃい!

 

「まだやりたいってリストにしてること1つもやってへんし、息子が成長した姿も見たいんじゃい!」

「妻が色んなことを克服してパン屋で成功するところも見たいんじゃい!」

「またクライアント様からosgtもらったばっかりなのに死んだら引き継ぎでけへんし!」

「そもそもアーティストとして復活しなきゃ生きてる実感せえへんやんかーい!!!!」

という心の底の叫びを感じる。

死ぬことよりは何もかもが些細だ

そしてこの時、うっすらある意識の中で
「自分が本当に無価値だと思ってるなら、こんなに生きようと思わないよな」
「もし明日死ぬ可能性があるなら、悩んで行動しないのはもったいないし、
何かしとかないとむしろ家族にプラスにならんよ?」

と合理的(?)にこの状況を解釈しました。

「明日死ぬと思ったら〜」とか生ぬるくイメージするだけじゃダメなんだなと。

本気で死ぬかもしれない状況を体験することで、ここまでリアリティをもって自分の人生を真剣に考えることになるんだなと。
自分が死んだ後、残された人の人生のことも感じるし、本当に自分の人生に責任と価値があるんだと思えるんだなと。

今までの生ぬるい感じ方なんかじゃない、リアリティのある体験。

それに、自分が行動を抑制するくらい悩んでたことも些細なこと。
自分の人生に価値を感じられないような、まやかしのような考えも些細なこと。

死んで何もできなくなることよりはずっとマシ。

で、結局無事だったん?

病院で検査してもらった結果はなんともなかったのですが、
まだ調子が悪いので、今週にはセカンドオピニオンに行く予定です。

ヘトヘトになりながら帰宅して、疲れ果てた妻に平謝り。
妻、ホンマにごめんなさい。

そして息子が暴れながら夕飯を食べ、風呂は両親ともに疲弊しきってしまったので、今日は清拭。

眠いのに寝ず、暴れまわる息子を見ながら、
前より冷静に物事を見られていることを感じました。

ムキになる必要もない。
息子がひどい暴れ方をするのも些細なこと。

本日は大変雑な文章になりましたが、終わり!
生きる!

そして私が何も症状が出ず、次の記事を更新し、生きていることを祈ってください笑

※なおこの記事は個人の感想です

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