全てを切り離し、削って見つめたら、感謝しか残らない

全てを切り離し、削って見つめたら、感謝しか残らない

いつも通りの朝のかたちの中で気づいた事。

言葉にしづら過ぎて長くなったが、まとめておく。

この世の物事は、

しっかり切り離して考えることが重要。

自分の感情は大事にした方がいい。

だけど、感情の渦に巻き込まれながら過去や未来を考えているなら。

一度切り離し、ただの「事実」として見つめる必要がある。

全ての出来事の「事実」だけを感情と切り離し、観察する

今朝、朝のルーティンワークをこなしながら

ぼーっと考え事をしていた。

関係がこじれにこじれた母親の事、

私が不誠実な事をしてしまったヴァイオリンの師匠の事など、

いろいろと考えていた。

過去の出来事から距離をとって考えると、

物事にはすべて、必然性がある。

それが説明のいくようなものから、そうでないものまで。

その事を考えるためには、

全てを感情から切り離し、

個別の「事実」「事象」として見つめる。

そうすることで、因果関係が見えてくる。

私の母親の事で言うならば。

強くあたってきた事には

厳しくエリートな祖父母の影響、団塊の世代という時代、

そして、埼玉県の都市部という地域性など、原因はたくさん。

やらざるを得なかった。

そして、無意識にそうさせられてきた。

母親もまた、しんどい思いだったに違いない。

「わからない!」

「どうして!」

「またやっちゃった!やめられない!」

私も母親も同じことで苦しんでいた。

そして、私の中にあった悪魔は、

同じように妻と息子を苦しめようとしていた。

気づかなければ、世代間でも連鎖は起こるだろう。

自分の感情を捨てろと言う事とは違う

ここで言いたいのは、自分の感情を捨てろと言う事ではない。

一度切り離して冷静に見つめるという、ただそれだけの作業。

因果関係が分かってくると、相手の感情に飲まれなくなってくる。

パターンが理解できてくる。

そして、自分の行動に関しても見えてくるものがあるのだ。

自分が相手にこうされたい、相手をああしたいと思う、

悪い意味での「エゴ」が。

エゴにはエゴで返ってくるので、気を付ける必要がある。

私は以前コーヒー屋をやっていた時(産休の前のタイミングの時)、

エゴだけでやっていた。

ここまでしている自分を見てほしい、みたいな。

エゴを突き抜けているくらいのクオリティだったらまだうまくいったかもしれない。

しかし、そうではないのに、エゴばかりで商売をしていた。

自分のやること、クオリティも大したことが無かった。

何も発展しなかったし、ギスギスした雰囲気の店内になったのでは。

切り離せない感情は、感謝なのではないか

話は戻って。

全ての事を切り離しながら、今朝も事実の仕分けをしていた。

自分のエゴを全部切り離して事実だけを見つめた。

事実だけを見ると、

「その人なりに育てようと努力をしてくれた」

「なんとか自分でできることをやろうとしてくれた」

「当時できることは、やっていた」

その事実だけが残ると、切り離せない感情があった。

「感謝」である。

「相手はこうした」という山積みの事実だけが残ると、

不思議と、手を合わせたい気持ちになる。

ただ適当に「ありがとう」と言うだけの事だけではなく、

心からの「感謝」である。

年末から新年にかけた新居と心の大掃除の果てに見つかった。

いろんな人の顔が頭をよぎる。

勝手に涙が出てきた。

息子はにこにこしながら寄ってくる。

母親の言葉の暴力などに関しては感謝はしていないが。

原因がわかると、それもどうしようもなかったという気持ちになるし、

今更どうこうすることもできないし、

それに縛られている時間もないので、いったん脇に置くことはできる。

その異常な状況の中、どうにかしたという事実については、

感謝に値してしまう。

自分のエゴをいったん切り離しているからだ。

感謝の伝わらなさは、危機を招く

でも、この感謝というものは、伝わるものではなく、

ある意味、受け手が自分で気づくものかもしれない。

この記事の読み手の人は、

身近な人にいったい、どれくらい感謝を伝えられているだろうか。

「いつもの事」

「当たり前の事」

これが感謝に値するものだったりする。

現代では、それに気づく時間や余裕が減っていっている。

しかも厄介な事に、

これは、言葉では伝わらない。

両親にも、私の師匠と呼ぶ人たちにも、

また友人たちにも、

どうこの感謝を伝えればよいかわからない。

だからこそこうして書いている。

一つ手掛かりがあるとしたら、「行動」だろう。

私たち夫婦が出会う前は、

感謝の伝えあいを欠いた環境で生きてきていた気がする。

そうなれば、人は愛に飢えるだろう。

心からの感謝の欠落は、心に大きな穴をあけ、

生きることに対する虚無感を生み出す。

この一年は、事業やワークショップ・音楽活動の成功よりも

今までの事の修復に時間をかける可能性が高まっている。

ルーティーンとして、身体に慣らしていこう。

朝のいつものかたちから昼のいつものかたちにかけての考え。

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